次郎作こと、布施田泰之です。
僕の友達に、 「就職したが1か月で仕事を辞め、福井でニート・フリーターをしたのちに、ある日一大決心をして7万円だけ握りしめて東京に出てきた」という壮絶な人生を生きている友達がいます。
どういう経緯で仕事を辞め、上京することになったのか、
いったい今はどんな生活をしているのか、などをこれからシリーズで書いてもらいます。
かなり面白いです、やっぱり人の人生はそれだけでドラマですね。
大学4年の夏、僕は念願の内定を勝ち取った。
福井生まれ、福井育ちの僕は福井の企業に就職が決まった。
数十社落ち続けて、勝ち取った内定だ。
営業職を希望していた僕は、様々な業界の採用試験を受け続けた。
そして、自動車ディーラーに入社が決定した。
翌年の4月1日、社会人生活が始まった。
いよいよ社会人としての第一歩を踏み出そうとしていた。
「社会人としてやっていけるのか」という不安と、「これからたくさん車を売っていこう」という希望に満ち溢れていた。
仕事が始まった僕は、あることに気づいた。
僕は営業には興味があったが、車には興味がなかった。
つまり、車の知識はほとんどなかったのだ。
まずはそのことで先輩社員に驚かれた。
しかし、僕はへこたれない。
すぐに車に関する本を買いあさり、基礎的なことを頭に叩き込んだ。
するとすぐに次の壁が現れた。
営業なので、車での移動がメインになる。
よく行くお店への道順はすぐに覚えなれけばいけない。
しかし、僕は道を覚えるのがあまりにも苦手だった。
「まだ覚えてないのか!?」
と先輩に煽られることもあった。
しかし、僕は焦らなかった。
すぐに地図を購入し、頭に叩き込み、休みの日はその道を走り回った。
立派な営業マンになるため、僕はこんなところで立ち止まるわけにはいかなかった。
勤務先には、個性豊かな先輩が居た。
ユーモアのある先輩や、面倒見のいい先輩、月に数十台売る先輩もいた。
その中に、社長の次に偉い専務がいた。
この専務が非常にクセのある人物だった。
結構な頻度で嫌味を言い放ってくる。
もちろん、周りの先輩はこれを承知で、僕には「(専務に嫌味を言われても)気にしなくていいよ」と励ましてくれた。
なので、僕は何か言われても気にしないように努力していた。
そしてGW前、僕は専務に呼び出された。
僕の車の知識のなさ、道の覚えの悪さなどを専務は気に食わなかったみたいで、こう告げられた。
「○○君、この仕事向いてないと思うよ。違う仕事探したほうがいいんじゃないの?」
会社を辞めるよう促されたのだ。
僕は立派な社会人になるという希望抱き、この会社に入社してきた。
なので、こんなことを言われたくらいで、辞めるはずはない。
しかし、この時の僕は冷静さを欠いていた。
今まで専務に嫌味を言われた時のように、このセリフを受け流すことができなかった。
「分かりました。辞めます。」
入社して1ヶ月、僕は職を失った。
あれほど、就活を頑張って勝ち取った内定を1ヶ月で手放してしまった。
1ヶ月前、僕は希望に満ち溢れていた。
1ヶ月後、僕には何もなくなった。
これから、僕はどうなっていくのだろうか!?